平成の文明開化
生まれて初めて携帯電話を持ったのはいつだったでしょう。僕は、大学二回生の時。そう1995年ですかね〜。携帯を持つのに抵抗があって、最後まで意固地に頑張りましたが、バイトで必要といわれ持ちました。ではでは、パソコンは?DVDは?
便利という恩恵は常に目に見えない犠牲のもとに成り立っています。でも、恩恵と犠牲を天秤にかけて「それでは恩恵をあきらめます!」って言えないですよね。恩恵って常に人の心の弱い部分に甘く働きかけてきますからね。今回、僕がいう「平成の文明開化」ののもとに払われた犠牲は「野生の勘」と「からだ」だと思います。
「野生の勘」
昔、好きな子の家に電話をかける時、相手のお父さんやお母さんに出られないように訳もなく願をかけながら、時間を見計らって電話をかけたって経験はありませんか?あのドキドキ感。
友達と迷ったとき、五感を研ぎ澄ませて、相手の心理を読みながらどこに行ったのか推察したことはありませんか?場内アナウンスって頼むの恥ずかしかったですし。あのハラハラ感。
待ち合わせの約束に遅れそうになって必死に走ったりしませんでしたか?あのヒヤヒヤ感。
いずれも携帯電話があれば、解決されます。その好きな子に直接電話をかければいいし、友達とはぐれたら電話すれば、また約束に遅れたら「ごめんね〜」って電話すれば許される世の中になりました。あまり、ドキドキしませんし、推察もしなくて済みます。
僕は実家に住んでいる時、いつも電車を利用する時、時刻表を調べずに駅へ向かってました。「この時間に電車がくる!」って決めうちしながら。あまり電車が止まらない駅だったんでもうドキドキです。野生の勘を働かせたつもりで、歩くペースを調節しながら駅へ向かいました。駅へあと、500mくらいで電車の姿が見えたときは、全身全霊を込めて走りました。ヘッドスライディングも辞さないくらいに。。。でも、今携帯で時刻表がわかります。一度甘い蜜を吸ってしまいました。僕は駅でヘッドスライディングをお披露目する事もなくなりました。野生の勘もお休みです。
今、ワンタッチで操作できるものが多くなりました。ワンクリックでお支払いも。でも、人の心はワンクリックでは決められません。
「からだ」
パソコンはなくてはならないくらいのものになりました。出来ない人が悪者扱いされるくらいに。でも、タイピングを始めたのっていくつぐらいの頃でしたか?液晶画面をこんなに見つめることも?パソコンをしている限りは、首は下を向きます。肩が張ります。目が疲れます。でも、僕らが生まれた時、「パソコンcompatible」でいけるとは思っていませんでした。
歩く事が減りました。車は便利です。公共交通機関も便利です。歩く事は減っていきます。僕らが子供の頃は、将来そんなに歩く事が減るって考えてもみませんでした。
ここ10年で身の回りの者は変わりました。本当にかわりました。でも、10年で人間の体は環境に適応する為に変化できません。便利の恩恵って。便利の犠牲って。Abstract ThinkingよりLiner Thinking が求められているのかもしれませんね。この時代では
| 固定リンク
トラックバック
この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/138529/5994042
この記事へのトラックバック一覧です: 平成の文明開化:

コメント