やっぱり予防ですか〜

僕は、最近8月からずっと歯医者さんに通っています。自慢できる話ではありませんが今まで「アメリカの歯医者さんの治療費は高い!」という事を言い訳にずっと、虫歯を放置していて今そのつけを払っているかと思いきや、実は少し得をしています。
 ご縁があってご紹介いただいたのが、福岡市城南区にある寺田歯科さんなのですが、こちらの先生は虫歯を(痛くなく)削る技術は確かなのにもかかわらず、一番力を入れているのはなんと言っても「虫歯の予防」です。僕が先生に「歯を削る方が商売的には儲かるんじゃないんですか?」って伺ったところ「虫歯を削って薬をつめて治すっていうのは、歯医者にとっても決して気持ちのいいもんじゃなんです。それやったら儲からんでも予防をしかっりして、患者さんが苦しまなくする方がやりがいがあるんです」と。確かに、虫歯を歯医者さんで治したからといって、日頃の予防、つまりは歯磨きを怠っては、また虫歯が出来て歯医者さんにいって治してもらうといういたちごっこになってしまいますね。それよりも、「痛くなる前に行動を起こして、予防をしっかりする!」という風に自分自身の意識改革を行っていった方がよいのではないでしょうか。「痛くなる前に、ケア(予防)をしてよりよい生活を送る」という点は、ロルフィングの考えとも通ずるところがありすっかり先生の考えに共感させていただきました。
 そこで、虫歯予防に対する意識改革をおこなった僕の家には、歯医者さんでしか買えない形のかわった歯ブラシや毎分31000回の幅広い振幅を生み出すSonicare(www.sonicare.ne.jp)をはじめとする歯ブラシ計4本が洗面所に控えています。一日に一回しっかり歯垢を落とせば、次の24時間は歯垢がつきにくくなるそうです。だから、歯磨きも今まで通り一日一回。しかもSonicareや形の変わった歯ブラシのおかげで、かなり歯磨きが楽しくなりました!しかも歯が丈夫になった気がします〜。

 虫歯予防の意識改革にご興味がある方、一度寺田歯科さんを伺ってみてはいかがでしょう?
  寺田歯科医院 
  福岡市城南区鳥飼5−18−2 
電話:092−821−6688
 
IMGP0471

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青いバラ

 先日、福岡のアイランドシティーというところで開催されている「アイランド花どんたく」というイベントに行ってきました。それほど広くはない会場に平日にも関わらず、ピクニックやツアーなどで来られて人たちなど、なかなかの人出でした。天気もよかったし〜。

 この「アイランド花どんたく」の最大の見せ物というのが「青いバラ」です。外国語でも「青いバラ」という言葉は「不可能」の象徴であるほど、その開発が難しいとされてきました。しかし、10数年にわたるサントリーとオーストラリアの研究機関の協力によって、その「不可能」が「可能」になりました!しかし、実際「アイランド花どんたく」の会場で展示されている、完全空調されたガラスケースのなかにいた「青いバラ」はとても弱々しく、はかない印象を僕自身は受けました。

 科学の進歩って何処まで行くんでしょう?昨日も、ニュースで男性の死後に冷凍保存していた精子で体外受精を行い、子供を出産した女性が、子供に男性の親権を認めるように訴えた裁判の判決がありましたね。判決は、「自然の流れを著しく逸脱した形で出産した子供であり、親権は認められない」というものでした。本当に裁判長が頭が痛い判決になったと思います。

 科学の進歩って、人々の夢を叶えてくれるものでしょうか?それとも自然の生態系に多大なる影響を与え、ついにはその「流れ」さえも違う方向に変えていくものなのでしょうか。実際地球上に存在する材質以外の物質で作ったものは、地球の土や水には永遠に帰らないとも言われています。人類にとって科学とは?その答えは、僕が歴史の生き証人になってからじっくり結論を見いだしたいと思います。

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ロルフィングとマッサージセラピーの違いについて

ロルフィング(ストラクチュアル・インテグレーション)とマッサージ(補医療行為)の主な違いはそれぞれの療法においての効果や施術者のセッション中におけるアプローチの仕方等に見受ける事ができます。

まず、マッサージについて、その主な効果は、血行の促進、老廃物の排泄、筋肉の痙攣や痛みを和らげたり、怪我やストレスに関連するうずきや苦痛を軽減したり、身体全体の活力を促進したりといった事があげられます。マッサージでは施術者は主に被施術者の筋肉に対して施術します。

次にロルフィング。ロルフィングの主な効果ですが、人の姿勢や体型を改善したり、柔軟性を向上させたり、身体全体の動きを良くしたり、という事があげられます。ロルフィングを行う施術者は主に被施術者の筋膜系(myofascia)に施術を行います。この筋膜系は身体の中で骨や軟骨、そしてそれ以外の柔組織(soft tissue)を支えたり、骨の位置を動かしたり、筋肉の動く角度や方向、又その動きそのものの質を決めたりと身体全体の形や機能を決定する上で非常に重要な役割を果たします。筋膜(Fascia)は薄く、伸縮性がある半流動体の膜であり、すべての筋肉や骨、血管や神経、臓器などを包み込んでいます。それゆえ、筋膜は人が姿勢を維持したり、身体の型に応じて理想的に動かしたりする時に、身体をしっかりとまとめ上げる(統合性を保つ)役割を果たしています。アイダ・ロルフ博士は筋膜系を“変化(姿勢)の器官”と定義した上で、怪我や慢性的な痛みやストレス、その他のトラウマはこの器官の機能を低下させると述べています。そして、怪我やストレス等の影響を受けだんだんと伸縮性や柔軟性を失い固くなった筋膜は、結果として筋肉や関節の動きを制限し始めます。

ロルフィングは身体の部分々(頭・胴・脚等)が重力に対して理想的に整えられれば、生体の機能は自然に改善するものであろう、という理念のもとに施術が行われています。もし身体が重力に対して理想的に整えられていなければ、身体の中の多くの筋肉がバランスを保つ為に、常に伸/収縮を繰り返さなくてはならなくなり、多くのストレスが身体にのしかかります。このバランスが崩れた姿勢を数が月や数年に渡って保ったままでいると、やがて身体の中の筋膜が短く固まったりと変化し、このバランスのとれていない姿勢の維持に努めます。やがて、この自然本来の性質を失った筋膜の為、身体の動きも固く鈍くなり、その結果身体に痛みやつっぱりを感じたり、精神的な明解さを失ったり、感情的なストレスを経験したりします。

ロルファーの手技による圧と、クライアントのロルファーの手技にシンクロナイズさせた身体の動きによって、固く制限された筋膜を開放することができます。この筋膜が本来の性質を取り戻すことによって、身体は重力に対しての理想的な整列(ライン)を取り戻し、身体が動いている状態や、静止している状態でのバランスを回復します。その他、ロルフムーブメント・プラクティショナーとしてのトレーニングを受けたロルファーはセッションの中で、クライアントの身体の動かし方の再教育を行ったりもします。その再教育の中で、ロルファーは身体の中に余分な緊張やストレスを発生させるような身体の動かし方をより自由でより統合性の高い動かし方へと導いてゆきます。ロルフ・ムーブメントはロルフィンの手技との併用により、より効果を高める事ができます。

ロルフィングの効果は累増的で、一つのセッションの効果が次のセッションの効果に上乗せされてゆきます。

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平成の文明開化

生まれて初めて携帯電話を持ったのはいつだったでしょう。僕は、大学二回生の時。そう1995年ですかね〜。携帯を持つのに抵抗があって、最後まで意固地に頑張りましたが、バイトで必要といわれ持ちました。ではでは、パソコンは?DVDは?

 便利という恩恵は常に目に見えない犠牲のもとに成り立っています。でも、恩恵と犠牲を天秤にかけて「それでは恩恵をあきらめます!」って言えないですよね。恩恵って常に人の心の弱い部分に甘く働きかけてきますからね。今回、僕がいう「平成の文明開化」ののもとに払われた犠牲は「野生の勘」と「からだ」だと思います。

 「野生の勘」
 昔、好きな子の家に電話をかける時、相手のお父さんやお母さんに出られないように訳もなく願をかけながら、時間を見計らって電話をかけたって経験はありませんか?あのドキドキ感。
 友達と迷ったとき、五感を研ぎ澄ませて、相手の心理を読みながらどこに行ったのか推察したことはありませんか?場内アナウンスって頼むの恥ずかしかったですし。あのハラハラ感。
 待ち合わせの約束に遅れそうになって必死に走ったりしませんでしたか?あのヒヤヒヤ感。
 いずれも携帯電話があれば、解決されます。その好きな子に直接電話をかければいいし、友達とはぐれたら電話すれば、また約束に遅れたら「ごめんね〜」って電話すれば許される世の中になりました。あまり、ドキドキしませんし、推察もしなくて済みます。

 僕は実家に住んでいる時、いつも電車を利用する時、時刻表を調べずに駅へ向かってました。「この時間に電車がくる!」って決めうちしながら。あまり電車が止まらない駅だったんでもうドキドキです。野生の勘を働かせたつもりで、歩くペースを調節しながら駅へ向かいました。駅へあと、500mくらいで電車の姿が見えたときは、全身全霊を込めて走りました。ヘッドスライディングも辞さないくらいに。。。でも、今携帯で時刻表がわかります。一度甘い蜜を吸ってしまいました。僕は駅でヘッドスライディングをお披露目する事もなくなりました。野生の勘もお休みです。

 今、ワンタッチで操作できるものが多くなりました。ワンクリックでお支払いも。でも、人の心はワンクリックでは決められません。

「からだ」
 パソコンはなくてはならないくらいのものになりました。出来ない人が悪者扱いされるくらいに。でも、タイピングを始めたのっていくつぐらいの頃でしたか?液晶画面をこんなに見つめることも?パソコンをしている限りは、首は下を向きます。肩が張ります。目が疲れます。でも、僕らが生まれた時、「パソコンcompatible」でいけるとは思っていませんでした。

 歩く事が減りました。車は便利です。公共交通機関も便利です。歩く事は減っていきます。僕らが子供の頃は、将来そんなに歩く事が減るって考えてもみませんでした。

 ここ10年で身の回りの者は変わりました。本当にかわりました。でも、10年で人間の体は環境に適応する為に変化できません。便利の恩恵って。便利の犠牲って。Abstract ThinkingよりLiner Thinking が求められているのかもしれませんね。この時代では


 


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ボディーワークとはなんだ?

今日、九州は「台風一過」の日です。子供の頃ずっと「台風一家」と思いってました。。。。家族連れです。そりゃー勢力は強くなりそうでしょ。。。。今、こうやってエッセイを書いている側で、窓にかけられたグレーの厚地のカーテンが、いつもより勢いが強い夜風の指導のもと、過激にダンスを踊ってます。台風と言えば、先週アメリカ南部を襲った『カトリーナ』に関連するニュースが入ってきますが、ニューオーリンズ、ガルフポート、ビロクシの地域は、僕が留学していた頃に、日本の大学時代の友人が英語もままならないのに、当時住んでいたアーカンソーに単身やって来てくれて、一緒に旅行した思い出の地。見る影も残さない町を見ると正直心が痛みます。今回の災害でのアメリカ政府への対応への批判が国内外でありますが、今どんなに批判をしようとも、前へは進めないと思います。教訓というものは、過去のものになってから初めて学ぶものになるのに、学ぶべきものが、現在進行形にある時点で批判を繰り返すのは全く的を外れているのではないかと、個人的に思います。

 あと、この件に関しまして、日本のロルファーの方で、John Scheweというニューオーリンズからやって来たロルフィングの講師をご存知の方がいらっしゃると思います。彼は、この難を逃れて、ジョージア州アトランタの親類の元に身を寄せており、無事だという報告が入っています。


さて、長い前置きになりましたが、皆さん「ボディーワーク」ってご存知でしょうか?これは、辞書にも載っていない造語になります。ですから、この言葉を僕個人の解釈を踏まえ、僕個人が定義する内容に基づいてご説明させていただきたいと思います。まず、はじめに僕個人の「ボディーワーク」の定義ですが、以下のようになりました。

ボディーワーク:施術者が明確な意図のもと、主に手技を用いながら、施術者・受け手の適切な相関を通して受け手の日常生活の質の向上を目的とした業務

これは、分類的にいうとサブカルチャーに属します。医聖と呼ばれたピポクラテスが、その著書の中で「マッサージや手技療法の使用」について肯定的に言及したように、古代より手技を用いた癒し業は行われてきました。が、集合的に分野として認知・扱われはじめたのは、ごく最近の事です。また、法律という形や、過去の歴史という要素もボディーワークを人々にとって非常に認知しにくいものとしています。

 ここで、法律に関して焦点を当てますと、例えば、皆さん、「整体」と「接骨院」の違いはご存知でしょうか?一度、どちらにも行かれた事がある方ならおわかりだと思いますが、一番の大きな違いは、整体では「国民保険が使えず」、接骨院では「国民保険が使える」といったことではないでしょうか。法律の定義上どちらも「医療類似行為」になりますが、「整体」は国家資格ではないため開業時に保健所への届け出が必要ない「無届医療類似行為」となり、「接骨院」は、柔道整復士という国家資格のもと開業しているので、開業時に保健所への届け出が必要となる「届出医療類似行為」となるのです。上記の僕の定義ではどちらも「ボディーワーク」になるのですが、法律において所属する分野が異なってきます。ですから、たとえ同じ手技を行ったとしても、有国家資格者が行うものと、国家資格者がない者が行うとでは、まるで扱いが異なってきます。

 更に、歴史はこの状況を複雑化します。明治維新が終結するまでは、「あはき」として知られる「あんま」・「はり」・「きゅう」は医学のメインストリームを走っていましたが、社会の急激な西洋化によってこれらの療法は地位を失墜させられました。しかし、第二次大戦後に徐々に地位を回復し始めていまでは、世間的な認識も上がり、国家資格にもなりました。これらの療法も僕の上記の定義ではボディーワークになりますが、歴史のなかで地位や認識が振り回されていたのです。
これらの事情がもたらした状況のもと、現代ではボディーワークが非常に認識されにくい、正体が見えにくいものになっています。しかし、暗いニュースだけでは、ありません。現代において、人々の健康への意識の高まり、男女を問わず美への飽くなき追求、また健康な老後を迎えようとする人たちの体に対するケア意欲の向上など、今の人たちは、より健康でより美しく、質の高い生活を送りたい、と願いっています。その中で、一部の人たちからボディーワークが、今までになかったサブカルチャー的なものとして注目されてきています。これは、ボディーワーカーにとっては、確たる必要な行動を起こすべき時期ではないでしょうか。


 僕が、I.S.E.を設立した目的は、「ボディーワークが文化として認識される事」にあります。僕らは、決して西洋医学をはじめとする医療行為やその他の届出医療類似行為にとって変われるものではありませんし、とって変わる事が目的ではありません。それよりも、僕が望むのは、体の不調を訴える人が安心して訪れることができるオプション(選択肢)をより多く提供できる環境をつくり、体調不良や痛みのため行き場のない不安や精神的な疲労に苛まれる人を一人でも少なくしていく事です。そして、ボディーワークがそのオプションのひとつとして、安心して、安全に訪問できるものになってほしいのです。現在、現代医学が日進月歩の発展をつづけているにもかかわらず、病気や機能的な疾患は無くなる気配すらなく、むしろ増加しているのではないかと思わせます。僕が考える主な原因は以下の3つです:
1。医学の進歩が予想していた方向に、現代の社会生活が変遷しなかった
2。「平成の文明開化」(これについては後日別エッセイで説明いたします)が予想以上の速度で進み、人々の体がその変化に十分に対応する期間がなかった
3。人々の健康・体の管理に対する認識の遅れ

原因は、過去にありますので教訓として学び、今後の未来に何が出来るかを考えるのが最善の策ではないでしょうか。そして、僕がボディーワーカーとして出来る事は「I.S.E.にこられた皆様にワークを行う」、そして「教育・意識改革を促す」ことだと思います。もし、僕の推測が正しければ、ボディーワークが人々に対して出来る事があるのではないかと思います。

 その思い現実化していき、活動を開始する為に、2年後をめどに「九州ボディーワーク協会」なるグループを設立いたしたしたい所存です。設立目的や具体的活動は以下になります。これらの目的を同じような考えをお持ち同志のとともに達成していければと思います。:
  
 目的:
  1−九州において、ボディーワークの社会的な認識の向上
  2−九州におてい、人々が安心してボディーワークがうけられる環境づくり
  3−九州において、ボディーワークを「文化」にする
  
 活動:
  1−ボディーワークの分野内での法的・資格整理・分別・研究・安全性の検証
  2−ボディーワーカー、その他の分野との相互交流・理解
  3−対外的なボディーワークの紹介
  4−ワークショップの開催
  5−海外のボディーワークに関連する書籍の翻訳・紹介
  6−ボディワークの定義の作成

 以上です。

「九州ボディーワーク協会」設立に関してまた、設立に向けた話し合いの呼びかけをこのホームページで後日行いたいと思います。基本的には、ボディーワーカーに限らず、どなた様でもボディーワークに興味を持ち、ボディーワークの発展を望む方であればどなたでもご参加いただけます。

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自由って一体なんだー?

 「♪自由って一体なんだー、自由になりたくないかー?♪』って節を聞いただけで、尾崎豊さんの曲を思い出された方は、なかなかの尾崎ファンの方です。さて、彼も曲の中で熱唱していたこの「自由」って一体なんなのでしょう?


 今日ふと、西部ガスが発行しているフリーペーパーの「&and」(No.123)のなかに掲載されている「斉藤教授の家族塾」という連載の第7回目「母親力を鍛える Part 2」を目にする機会がありました。本文の主な内容は、「親として子供に「どうして勉強するの?」と聞かれた時に、その説明ができるように」や「勉強・勉強時間の必要性について」の説明です。その中の下りに、「.....勉強しないことが自由だと思っている子供が多いでしょう。けれども、本当の自由というのは自分でしたいことが選べるということであり、そのためには勉強して自分の世界を広げ、選択肢を広くする必要があります。.....(略)」(10項)という部分がありました。それを読んで、目から鱗でした。なるほど〜。そういう考え方もあるんですな。


 で、ここからが斉藤先生が書いた箇所を読んで僕が考えた事です。自由にも、各レベルがあるように思え、一言に「自由」って言っても、多種多様なものとなるのではないでしょうか。まず、この話を整理する為に僕が考えた、「自由のレベル分け」を説明させていただきたいと思います。が、逆説的に考えると、いかに我々が「制限」を受けているかを考えた方が、話がより整理されると思い、「制限のレベル」を書き出す事にしました。

まず、はじめにくるのが1)「生命体レベルの制限」。続いて2)「国家レベルの制限」、3)「社会レベルの制限」、4)「家族レベルの制限」、そして最後に、5)「個人レベルの制限」があるように思います。おのおの説明していきますと、「生命体レベルの制限」とは、例えば、人間は、大気圏を出て宇宙にでると、無酸素状態のなかに入ることとなり長くは生きながらえないでしょう。不自由です。同じように水中でも、ある程度は無酸素に耐えられますが、やはりいずれ不自由つかまつります。つまり、人間というカテゴリーに属する限りは、有酸素の陸上などで制限をうけない「自由」を獲得することができます。次に、「国家レベルの制限」についてです。ある国で、または特定の国の両親から生まれて、国籍を与えられると、人はその国に属する事になります。これは、一度1つの国籍決まってしまうと、所定の法的な手続きを行わない限りは変更する事ができません。よく「警視庁24時」などで、「自称中国人の男が。。。」などのナレートが入ったりしますが、「自称」は「自称」であって、本当の国籍は一つ(又は国によって2つ)です。さて、次に「社会レベルの制限」についてです。身近なところでは「喫煙・飲酒は20歳になってから」や「法定速度80km」など。これは、地域や国、またはコミュニティーによってまちまちです。続いて、「家族レベルの制限」ですが、門限、携帯電話の使用許可など、生活により密着した内容になります。そして、最後は「個人レベルの制限です」。「俺、木曜日は黄色いパンツしかはかへんねん」や「おいしいものは一番最後に食べるって決めてます!」など、個人レベルで様々あります。


 こうおのおののレベルでの制限を考えていくと、「自由」が見えてくるのではないでしょうか。ゆうなれば、憲法や法律、ルールなどの制限を除いた部分が「自由」になり、1)の「生命体レベル」を除いた、2)〜5)はすべて、やり方によっては「制限」の効力を、自分の希望通りに変えることができるものなのです。そして「自由」って僕らにとっては、「制限」の印象が強すぎて、周りにありすぎても認識できないものになってしまっているのではないでしょうか。「....本当の自由というのは自分でしたいことが選べるということ....」という斉藤先生の下りをもう一度考えると、「自由」とは「制限」という枠のなかにはめられたなかで、制限が及ばない事柄を指し、その制限以上の「自由」がほしければ、自らの知恵と行動力を持って「獲得」しなければならないものです。しかし、はじめから受動的にあたえられた「自由」とは、本当に「自由」の味がしない、そっけないものと考えるのは僕だけでしょうか?

「自由」がほしければ、「どんな「自由」がほしいのか」そして「その「自由」を獲得するためには一体何をすればいいのか」考えてみましょう。そして、「自由」が味わえたら、どんな味だったか、後で僕にこっそり教えてくださいね。

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開業にあたり

 このHP立ち上げの際に、自分自身が日々思ったことや、考えた事を記録として書き留めておこうと思い立ち、このページを開くに至りました。どこまで続くかわかりませんが、脳が活発な限り続けていこうとおもいますので、どうぞおつきあいください m ( - - ) m

 さて, まずはじめにこのページにあります、僕が座右の銘としております2つの言葉をご紹介させていただきます。ともに、「万物は常に移り変わる」という趣旨の事を意味します。生物は、常に時の支配にある以上は、(時間的に)立ち止まる事なく常に変化の中を生きていきます。変える事のできない時間の流れ〜時に人はそれを”運命”と呼ぶ事もあります〜に対して、私たちはどのような心持ちで接していけばいいのでしょう。あてがうか?流されるか?僕は、後者を選びます。それは、人生のすべての決定の機会を放棄するという事ではありません。どちらかというと、「どうにもならない事態」に対して、あがく事なく腹を据えて「どうにもならない事態」が過ぎて行くのを待つ、という事です。そうすれば、新しい導きが訪れるのではないでしょうか。日頃から、「どうにもならない事態」に面したときに対応できる柔軟な思考、適応できる身体、そして腹を据える勇気がないと、やはり土壇場になって事態で窮してしまいます。
 上の話と少し関連しているので、僕のロルフィング体験をご紹介させていただきます。僕が、初めてロルフィングの10セッションを受けた後、体の変化も体感しましたが、何より一番変化を感じ、今も持続しているのが「心の持ちよう」です。10セッションを受ける以前は、何かつらい事やドキッとする場面に接するとちょうど胸の奥がキュ〜っと締め付けられ、心臓がどきどきして、視界が狭まるといった、いわゆる生理学的にも「 Fight or Flight Response (闘争・逃走反応)」を経験していました。が、今は何故かこれを経験する事が減ってきたんです。先日も、自転車で走ってて、道を横断しようとして危うく車にひかれそうになりましたが、その瞬間は「あ〜、あっ、車やー、自転車買ったばっかりやのに、これこのままひかれたら、かごの部分だけは間違いなくへっこむやろうな〜。かごだけ取り替えるとなるとMr. Max(ホームセンター)にいって、かごだけ買わな。でもかごだけって売ってるんやろうかな?」と。車が急ブレーキをかけたので難をのがれましたが。もっとどきどきしないといけませんよねー。でも、これって「適応性」といいましょうか「柔軟性」といいましょうか。いまだにこういう思考になった(正式な?)原因がわかりませんが、ロルフィング受けた後からこんな具合です。
さて、少しながながとなってしまいましたが、こんな感じで取り留めもなく書き綴ってゆきたいと思いますので、どうぞよろしくお願いいたします。

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